ご先祖様の一人の出身地(明治時代)を訪れてみた

以前、自分の祖先についていろいろと調べてみた。

その過程で、東京都に籍を置いていた、父の母の母のいた家*1に、昭和初期に婿入り*2した、兵庫県出身の曽祖父の詳細を知った。

その曽祖父は、自分の父と生きた年代が被っている*3くらいで、どういう人だったのか、父や父方の祖父母からたまに話を聞いていた。兵庫県の南西部の田舎から東京に移り住み、働きながら大学を出て*4、戦後に商売もそこそこ成功させていたらしい、立派な人だと聞いていた。

その曽祖父の出生時の本籍地について、父方の姓の戸籍を遡っていく上で確認でき、どんなところで生まれ育ったんだろうと若干の興味が湧いていたため、少し時間があったタイミングで伺ってみた。

古い地番から現在の街区符号を探す

その曽祖父は明治41年の生まれであると戸籍に記載がある。その当時の本籍地は、あたりまえではあるが当時の地番で記載されている。

地番は変更されうるもののよう*5だし、ある程度人が住んでいるエリア*6であれば、おおむね昭和期*7に住居表示がなされており、昔の地番でGoogleマップ等の最新の地図で検索しても、特定することができないことが多い。

過去の土地の区分けについて調べるために、そこの地元の図書館に行った。曽祖父の出身地である赤穂郡那波村は、市町村合併の結果、現在は相生市であるため、相生市図書館に伺った。

司書さんに、古い土地について調べたい旨を伝えると、まず住居表示新旧対照図を持ってきていただいた。相生市は、1965年にはじめて住居表示を実施したらしい。その住居表示新旧対照図を眺めても、曽祖父の出生時の戸籍の地番は見つからなかった。曽祖父が生まれてから半世紀以上経っている地図だから仕方がない。なお、地番は地図上に連続性が無く、住居表示の有り難さが理解できた。

さらに古いのを、と司書さんにお願いすると、「字限図」というのを出していただけた。「字限図」と書いて、「あざぎりず」と読むらしい*8。めっちゃ古くて読みにくいだった。

字限図は、明治維新の一環として習った、地租改正に伴って作られた地図らしい。これを眺めていると、曽祖父の出生時の本籍地の地番を見つけることができた。道路や海岸線等をヒントに*9、現在の地図におけるその場所を同定することができた。

実際に行ってみた。

相生市立図書館からほど近い場所が、その曽祖父の出生時の本籍地だった。

その曽祖父の出生時の姓は「寺本」で、そして本籍地はお寺が目の前*10で、なるほどそういうことかと勝手に納得した。

その寺本さん家の、曽祖父のきょうだいたちは近くの他の市街地に移り住んでおり、そこにはもう誰も居ないということを祖母から聞いていた。念の為、さっと散策したが、想定通り同じ姓のお住まいは見当たらなかった。

一応、その目の前のお寺の境内にお邪魔させていただき、ご浄財と書かれた箱にいくらか入れて、手を合わせておいた。お寺の入口に西本願寺派と書かれていた。堀川通西本願寺でぐねってなってるやつのことを思い出した*11

海まで徒歩数分の、お寺のすぐそばのこんな土地で曽祖父は幼少期を過ごしたのかあとぷらぷら散歩した。ローソンがあったから、お茶を買った。字限図を見る限り明治以前からからそれなりに住宅が多く賑やかな村だったはずで、当時はどんなお店があったんだろうか。想像すると面白い。

最後に

相生市市立図書館に、歴史民俗資料館が併設されていたからざっと見ていった。

JR*12相生駅は、当時は那波村が近かったことから那波駅だったらしい。その那波駅ができたあと、当時は那波町*13より人口の多かった相生町編入し、相生町の一部となり、その結果那波駅は相生駅になったらしい。今となっては、JRの駅がある那波村に近い領域のほうが栄えている印象がある*14が、当時*15は駅よりもっと南の相生地区のほうが勢いがあったのかと学びがある。 昔の地図を眺め、その場所を訪れ、その後歴史資料館で答え合わせができたのは良かった。

あと、相生市那波南(現在の表記)にある、道の駅あいおい白龍城で食べれる牡蠣とじ丼が美味しかった。

牡蠣、大好き!

*1:1947年の民法改正前の家(イエ)制度における家を指す。

*2:民法の分野では、「入夫婚姻」ということが多い。

*3:自分の父から見ると祖父にあたる。父は会って話した記憶はあるとのこと。

*4:以前祖母が『学位記に「平民」と書かれていて、貴族制度のあった時代を感じた』みたいなことを言っていた。

*5:昭和初期以前の地番の変更事由について、詳しくはよくわからなかった。今回調べた曽祖父の出生時の本籍地について、結論から言うと明治から昭和にかけてどこかのタイミングで3つの地番が1つの地番になっているようだった。

*6:但し京都市は除く。中世・近世からある程度細かく町名が区切られていることと、中央市街地は通りの名前で呼称する慣習もあり住居表示の必要性が低いことからか、政令指定都市で唯一住居表示が実施されていない。

*7:住居表示に関する法律が施行されたのは1962年。

*8:その司書さんがそう呼んでいただけで、他の読み方もあるらしい。

*9:ありがたいことに大きめの道はほぼ現在と同様だった。

*10:そのお寺は字限図にも記載があった。由緒正しいお寺っぽい。

*11:東本願寺烏丸通をぐねってさせている。

*12:当時は山陽鉄道。その後1906年の国営化により所管は鉄道省国鉄と経て、現在はJR。

*13:1931年より那波村は那波町。

*14:ちなみに、現在の相生市役所は、土地確保のためかかつての那波村と相生村の集落の間あたりの、どちらかというと那波村寄りにある。

*15:那波町の相生町編入は1939年。

江戸時代まで自分の先祖の情報を調べてみた

以前からあった自分のご先祖さまってどういう人たちだったんだろうかという素朴な感情と、大学で憲法民法(家族法)を学ぶにあたり沸き起こった自分の姓とはどういうものなんだろうかという疑問の2つを動機として、先祖の情報を調べることにした。

調べる方法としては、直系尊属の含まれる戸籍情報を請求していくだけ。

結論からいうと、江戸時代それも幕末の始まりとされる黒船来航よりさらに前を生きた人の情報まで得ることができた。

戸籍の情報の請求

請求できる対象

戸籍情報は、自分および自分の直系親族のものを閲覧するために請求できる*1

まず、自分がいる戸籍の謄本を取得する。戸籍謄本には、戸籍に記録されている各人の前に記録されていた戸籍、従前戸籍というもの記載されている*2。これが仮に自分の父親が筆頭者である戸籍であるとする。

次に、例えば父の従前戸籍である戸籍、つまり多くの場合祖父が筆頭者である戸籍を請求する。このとき、請求者である自分が祖父の直系の親族であることを証明する必要があるが、父が筆頭者である戸籍の謄本を提示すれば十分である。

次に、例えば祖父の従前戸籍である戸籍、つまり多くの場合は曽祖父が筆頭者である戸籍を請求する。このとき、請求者である自分が曽祖父の直系の親族であることを証明する必要があるが、父が筆頭者である戸籍の謄本と、祖父が筆頭者である戸籍の謄本を提示すれば十分である。

次に、例えば曽祖父の従前戸籍である戸籍、つまり多くの場合は高祖父が筆頭者である戸籍を請求する。このとき、請求者である自分が高祖父の直系の親族であることを証明する必要があるが、父が筆頭者である戸籍の謄本と、祖父が筆頭者である戸籍の謄本と、曽祖父が筆頭者である戸籍の謄本を提示すれば十分である。

このように、再帰的に、戸籍は請求可能。

上記の例では父の父の父といったように辿ったが、もちろん母の父の父…とか父の母の母…といったようにも辿れるし、だれが筆頭者であろうと、筆頭者でない者の従前戸籍を取ることもできる。つまり戸籍上、直系親族であれば誰でも取得できる。

戸籍上直系の親族であるというのは重要で、親しい間柄の親族と思っていてももその条件を満たせなければ取得はできない。例えば、親の再婚相手、いわゆる継父や継母は、直系の親族ではない*3。うちの母方の祖父母は、母が小学生の時に離婚しており、その後母が中学生の時に祖母が再婚している。母は祖母の再婚相手を自らの父のように接している*4が、母と祖母の再婚相手は直系の親族ではなく、もちろん自分と祖母の再婚相手も直系の親族という間柄ではない。自分は中学生くらいまでは毎年盆暮れ正月には母の実家に泊まりに行っており、その「祖母の再婚相手」には非常に可愛がってもらい、沢山様々なところに連れて行ってもらったり、夏休みの工作も手伝ってもらったり、いろいろな遊びを教えてもらったりした。中学卒業しても、実家を出て遠い所で暮らすようになっても、少なくとも年始には母の実家(祖母の家)を訪れてご飯を食べたり仲良くしていると思っているそんな大好きなおじいちゃんについて、戸籍を調べルーツを探してみることができないというのは、なんというか不思議な感覚である。

再帰的に請求可能とはいえるが、遡れる範囲に限りはある。明治19年式より前の戸籍は、身分について記載されていることから差別につながるとして、1968年から現在にかけて閲覧禁止とされている。したがって、明治19年以降も有効な(=戸主が生存している)戸籍についてのみ、現在は請求できる。

請求するモノの種類

戸籍は法改正により、都度「改製」されており、改製前の戸籍の情報を取得するにあたっては、戸籍謄本ではなく改製原戸籍*5を請求することとなる。また、昭和23年の改製前は、家制度の下の戸籍であったことから、「筆頭者」ではなく「戸主」が存在する。

戸籍謄本は一通450円、改製原戸籍は一通750円かかる。改製原戸籍のほうが高いのはどういうことかと当初思ったが、家制度のあった当時の戸籍は、今で言う世帯が何個も一つの戸籍に纏められており、非常にページ数が多く、戸籍謄本の何倍もの情報量がある場合もあり、手数料が高いことに関して納得せざるを得ない。

請求先

戸籍の請求先は、基本的には戸籍の存在する場所の自治体(地方公共団体)である。郵送についても、だいたいの自治体で受け付けており、ホームページに案内がある。さらに、今年(令和6年)3月からは広域交付というのができるようになった。近くの自治体の役所に行けば、日本全国の戸籍謄本、改製原戸籍が取得できる。戸籍の情報の電算化がすべて完了*6し、相互連携しているおかげである。

今回に関しては、住んでいる品川区の品川区役所が自宅から行くのにやや面倒くさい位置にあるということと、窓口にどういった検索のシステムがあるのかわからないけど一度古い改製原戸籍の広域交付をお願いしてみたら窓口でそれなりの時間待たされた*7ことから、今の所多くは郵送で各自治体に請求した*8。郵送での請求の場合は、郵便為替で手数料を送る。「おたくの自治体で遡れるだけ遡ってください!」と請求時にお手紙を書いておけば、「遡れるだけ遡ったらXXX円かかったから追加で郵便為替送ってね。あと紙が増えて重くなったから追加で返信用切手も送ってね。」と電話で連絡してもらえる。

自分の姓についてわかったこと

自分の今の姓、自分の父方の姓について着目し、家系図のような図を作ってみた。直系尊属のみ記載しているため、継母または継父の記載は省いた*9。養子については、その戸主から直接線を引いた。そうでない場合、父母が明らかな場合は、親の2人の間から線を引いた*10。姓に関係の薄い部分は省略している。自分の今の姓は「A」と置いている。

自分の今の姓Aを辿ると、自分の父の母の母の父の父の父、武左エ門さんまで辿れた。最後のところ(上図の一番上)については、自分の父の母の母の父の父が戸主である原戸籍が取れ、その戸主の従前戸籍の戸主の名前として知ることができた。父の母の母の父の父が嘉永5年(1852年)、黒船来航の前年の生まれということは、その親である武左エ門さんはそれより古い生まれということで、19世紀前半を生きた人だということ。大塩平八郎の乱が1837年、天保の改革が1841年とかで、そんな時代を生きたご先祖様だ。

父方の祖母と祖父は血縁関係があったみたいなことは両親からなんとなく聞いてはいたが、実際詳細を知ると感動がある。どういうことかというと、父の母の母の父の父と、父の父の父の父は同一人物であるということ。父方の祖父母は結婚時に妻の姓を名乗ることにしたというのは昔から知っていて、では父系を辿っていくとどんな姓になるんかなあと思っていたこともあるけど、一応父系を辿っても同じ姓になる様子。養子縁組がいろいろあってややこしいが。

家制度があったときまたはそれが文化として色濃く残っていたときは、家というものを存続させることを重要視して行動することも少なくなかったらしいとぼんやりと認識していたが、それがどういうことか少しだけ理解が深まった気がする。

簡単に家系図作ってみて分かったこと

先程の図の通り、家系図木構造になるとは限らず、すくなくともうちの場合は木構造にならないことが分かった。なんといっても閉路がある!木構造の説明のときに家系図で例えるのはもうやめよう!*11

その他ご先祖について分かったこと

戸籍には、姓や婚姻養子縁組といったイベントごとだけでなく、戸籍の所在地ももちろん記録されている。都市部の借家に住む人が多くなり、住民基本台帳*12がある今となっては、戸籍は現住所と全く関係ない所に置くことも多いが、かつては住所と戸籍を揃えることが多かった。従って、ご先祖様の地理的なルーツを調べることができる。

父方の、そのA姓に関しては、東海地方が元々の出自のようだった。東海地方内で、県内や隣接県の人々と血を交わしていった後、父の母の母の父が東京に引っ越した様子。具体的事実が正確に知れてよかったが、その理由は気になる。

母方のほうも戸籍は探った。母の血縁上の父については、先祖代々ずっと辿れる限り、つまり遅くとも江戸時代後期から、近畿圏のとある都市部に住み続けていた家系だということがわかった。その祖父について前述の理由からもちろん自分は面識がないし母も両親(自分視点では祖父母)の離婚以来会ったこと無いらしいが、戸籍辿ったことについて母に話してみたら、母が幼い頃に父やその親戚から聞いた話、先祖がどういう職業だったとか、親戚にどんな人がいたとかを教えてくれて面白かった。

母の母(祖母)については、熊本県内のかなりの田舎の出で、これも辿れる限り先祖代々ずっとそうっぽかった。Googleマップの航空写真やストリートビューで見る限りもうすっごいのどかなところだった。百姓の家だったと母が言っていて、これはたぶん100%正しいと思う。実際そっちのご先祖様がどういった人たちだったのか、どんな生活を送っていたのか、より詳しく知りたくはあるが、母方の祖母は、現状かなり認知症が進んでしまっていて、もう何もわからない。熊本のほうに行く機会がもし今後あったら、レンタカーを借りてそのあたりを散策して、ご先祖様の暮らしていた土地の雰囲気だけでも知ってみたいと思った。

いろいろ知ってみて

父方の祖母が、東京大空襲で母と妹2人(自分視点では曽祖母と大叔母2人)の3人を失ったというのは昔から教えてもらっていた。その上で、原戸籍に3人分つまり3回書いてある「昭和弐拾年参月拾日 時不詳 (中略) 死亡」という文字列を直接見たとき、非常に痛ましい気持ちにになった。深川區役所は翌月24日に届け出を受け付けたこと、自分視点では高祖父にあたる人が届け出を行ったことも記載されていた。一面焼け野原の状態から1ヶ月で業務を再開していた役所の方々すごいという感想もありつつ、高祖父はどんな気持ちで自らの娘と孫の死亡届を出したんだろうかと考えてしまった。

そういえば祖母はたまに東京に行って、どこかに慰霊に行っていたなということを、お盆に思い出した。いま自分は東京に住んでいることだし、行くことにした。

確認のため、祖母に架電した。両国にある東京都慰霊堂に行けば良いと教えてもらえた。

東京都慰霊堂は、関東大震災の慰霊のために建てられた建物ではあるが、そのまま東京大空襲の慰霊にも使われている。東京大空襲での10万を超える遺体の数々は、混乱の中、一度各地の寺社や公園に一度仮埋葬された後、東京都慰霊堂に全て集めて正式に埋葬されたらしい。つまり、自分の曽祖母と大叔母たちの遺骨がおそらくそこに眠っているはずであるということ*13

慰霊堂の中には、ご自由にお取りください方式でお線香が置かれてあったから、それを使わせてもらって、手を合わせた。お賽銭箱のようなものが置かれていたので、幾らか入れておいた。

東京都慰霊堂のある横網町公園には、東京都復興記念館という資料館もあった。中には、関東大震災東京大空襲に関する展示があった。凄惨な資料もあった。ただの歴史の1ページとしてではなく、以前の自分よりも当事者性を持って対峙し受け止め考えることができたと思う。

横網町公園にある「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。中には犠牲者の名簿が納められており、そこに曽祖母と大叔母の名前が刻まれているらしい(祖母談)。

その後

おそらくお盆に電話をかけたことがきっかけで、父方の祖母から、家のルーツをについてまとめて書かれた手紙が届いた。また、祖母は趣味で詩を書いたりしているのだが、自分の幼少期について書いたものが載っている同人誌が同封されていた。自分がいま戸籍やらいろいろ調べていることを祖母には特に伝えたりしていなかったのに、本当に有り難い。

出自について、なぜだれがどう養子になって、なぜどこに引っ越して、だれがどこの家に嫁いでいって、非嫡出子*14がいてといったような事が書かれてあった。

戸籍にある情報とは合致しているし、なぜそうなったのか気になっていた所が解消されたりして、答え合わせみたいな感じで、当時の様々な人間模様を想像できて興味深かった。

きちんとした家系図を作って印刷して、正月父の実家に挨拶行くときにでも持っていって、祖母にさらにいろいろ聞いてみようと思う。

皆様も、夏休みの自由研究に祖先の戸籍を見てみるのは如何でしょうか。

*1:加えて、士業の職務上請求がある他、士業で無くとも要件が揃えば正当な権利行使のために第三者が取得することもできる。実はこれもやってみたことあって結構簡単だった。

*2:出生時にその戸籍に記録された者を除く

*3:相続等を目的として養子縁組を結んだ場合を除く。

*4:少なくとも自分にはそう見えている。

*5:「かいせいはらこせき」と読む。

*6:ちなみに、日本の政令指定都市の中でこの電算化が一番遅かったのは京都市らしい。

*7:本当にどういうデータベース設計でどんなインデックスがあるのか気になっている。戸籍の所在地と、筆頭者または戸主の名前という2つの情報のみで取得が可能ではあるが、それぞれ表記ゆれ激しそうで、どうしているんだろうか…。

*8:郵送での広域交付はできない。戸籍の存在する自治体に郵送で交付を請求する必要がある。

*9:この父方の姓の家に限らず、昔の戸籍を眺めていると、奥さんが亡くなって再婚という事象が非常に多かった。

*10:このほうが現代の家族観にふさわしいと思う。

*11:これは冗談で、木構造というか木の概念の説明の時に家系図を出すことはわかりやすいと思う。また、うちの家系に限らず、狭い島国に暮らす我々日本人の多くはたった数世紀辿れば大体閉路は見つかると思っているし、そもそも全人類は一人の女性「ミトコンドリア・イブ」に繋がるのである。

*12:住民基本台帳法は1967年施行

*13:父方の家のお墓は、東京から神戸に移転済であり、そこに曽祖母と大叔母の骨はないが名前は刻まれ供養されている。近畿に引っ越したらそのお墓にちゃんと手を合わせに行こうと思った。

*14:1942年の民法改正で、「私生児」から「非嫡出子」という呼び方に変わった。家族法の授業の先生によると、当時出征先で亡くなった軍人の隠し子が発覚する事例が多く、そういった戦死者つまり「英霊」の子を「私生児」などと呼ぶのは如何なものかということで呼称が変わったらしい。面白い。

「大吉祥寺.pm」に行ってきた

吉祥寺で行われているWeb系技術を中心としている「吉祥寺.pm」という勉強会の、10周年記念による拡張版「大吉祥寺.pm」に行ってきた。武蔵野公会堂ホールで300人以上参加予定の大イベント。

コロナの流行中くらいの時期からなんとなく興味が薄れてしまって、技術系の勉強会やカンファレンス等に全く行かなくなってしまっていた*1*2。今回なんとなく目についたから「久々に行ってみるか」と思い立って参加することにした。

個人的に印象に残った発表

どの発表も面白かった。その中でも個人的に印象に残ったのは以下の方々の発表。

お昼ごはん

@kaiba さん、 @teckl さん、 @mktakuya くんと4人で家系ラーメンを食べた。

tabelog.com

吉祥寺 武蔵家 のラーメンと白ごはん

美味しかった。

感想

いろいろなお話を聞けてよかった。久々に会う人ともお話できてよかった。

長らくこういう会に参加していなくて、なかなか腰は重かったけど、思ってた以上に楽しかった。また近いうちに何か行きたい。


以上、家帰って風呂入ってすぐの簡単な感想でした。

*1:〜2022年あたりは一人旅やマッチングアプリ等によって、「知らない人と喋ったり飲んだりしたい欲」みたいなものが消化されていたのが大きな理由の一つだと思う。

*2:直近では現婚約者との旅行や、趣味で仕事と全然関係ない分野の勉強をしていてそれに余暇の時間が取られているという言い訳がある。

*3:僕らも時代は違えど20年くらい後輩の人に同じように思ってもらえるよう頑張らなければ。

日商簿記検定 3級 受けた

日本商工会議所(以下、日商)がやってる、日商簿記検定の3級を受けた。

日商は民間団体である*1ため、合格したからといって当然に業務独占資格が得られるものではない。

簿記は日商によるこれの他に多数あるらしい。有名なものでは高校生向けの「全商簿記」と専門学生向けの「全経簿記」があり、それぞれその分類の学校が加盟している法人が実施している。試験ビジネスはカネになるから外部ではなく身内で集まって実施したほうが良いとか、受験対象層にあわせた難易度を独自に設定できて有益だとかそういう理由がありそう。

今回受けた日商簿記の3級は、前述の全商簿記と全経簿記では2級に相当する難易度らしい。ややこしい。とりあえず社会人向けの資格試験としては入門編っぽい。ITパスポートとかそういう水準。たぶん。

動機

婚約者*2が受けようとして、参考書を買っており、それを自分も読んで受けようと思ったから。彼女がなぜ受験しようとしたのかはよくわからん。

申込

CBT試験を利用した。簿記3級はほぼ365日日本全国どこかの会場で受けれる。試験会場に空席があれば、受験3日前まで予約/変更可能という自由さ。

受験料は消費税手数料ぜんぶ含めて3850円。こないだ受けた某試験の3割程度のお手頃価格で非常にありがたい。

勉強

婚約者の家に置いてあった、TAC出版の「スッキリわかる 日商簿記3級」を読んだ。

初学者向けでめっちゃ平易だった。

ゴエモン、クロキチ、シロミといった猫のキャラクターたちのイラスト交えて解説されていて、商取引に馴染みのない中学生でも十分に理解できそうなくらいのわかりやすさだった。

滝澤ななみ (2024) 2024年度版 スッキリわかる 日商簿記3級 TAC出版 24頁
滝澤ななみ (2024) 2024年度版 スッキリわかる 日商簿記3級 TAC出版 24頁

ゴエモンたちが可愛くコミカルに描かれていて、癒やされて本当に良かった。あらゆる初学者向けの本はキャラクター交えたほうが良い*3

そもそも今回、日商簿記3級を受けようと思ってこの本を開いたわけではなかった。婚約者の家で暇なときにソファで転がりながら目についたこの本を開いたら、ゴエモンのおかげで特に勉強している意識なくスラスラ最後まで読めてしまったから、せっかくなら受けるかという流れ。

そんな感じでまあいけるやろと勉強っぽい勉強をしなかった。

しかし、直前になって参考書の巻末の予想問題を一応一回はやってみるかと試してみたら、仕分けだけの第1問はともかく、応用問題?の第2問と第3問が全然解けなかった。

同じシリーズの予想問題集*4を開いて、試験開始までの限りある数時間で第2問と第3問の解説を読んでコツを掴もうとしてみた。

解説がわかりやすく、なんとなくいけそうな気はしたが、悩む時間が長く試験時間の60分のあいだに解き切れるかでいうと微妙な気持ちのまま、試験を迎えた。

舐めずに最初からもっとしっかり熟読すればよかった。これで落ちたらごめん、ゴエモン

受験

試験受けに行く前に、念の為にと試験情報を確認していたら、関数電卓は持ち込み禁止ということに気付いた。気付けて良かった。関数電卓以外の電卓を持っていなかったから、近所の100円均一で電卓を買ってから向かった。

銀座駅直結、歌舞伎座タワー5階にあるCBTの施設に行った。

cbt-s.com

サービス停止でいま滅茶苦茶大変そうなドワンゴ*5の従業員と思しき人たちとすれ違った。お疲れ様です。

受付の人に名前を言って、本人確認用の身分証を見せて、持ち込みする電卓と身分証以外の荷物をロッカーに入れて、説明が書かれた紙と計算用紙を渡されてから、試験場に入った。

パソコンがある程度間隔あけて十数台置かれていた。同じ簿記の検定受けている人が多いのか、電卓叩く音が響いていた。

指定された席に座り、さっき渡された紙に書かれた情報*6をパソコンに入力し、試験開始。

単純な仕分け第1問→PLとBSを作る第3問→なんかいろいろ出てくる第2問の順番で回答していった。

案の定時間が足らず、第2問の途中で時間切れになってしまった。第1問と第3問は絶対にケアレスミスがあるからそれの見直しもしたかったのに、それも叶わず…。

結果

簿記3級のCBT試験では、試験終了後に即結果が画面に表示され、そのまま印刷してもらい持って帰ることができる。

日商簿記3級 CBT試験 試験結果の紙

合格した。ありがとうゴエモン

合格ラインは70点。つまりギリギリセーフ!

言い訳としては、電卓がうまく使えなかった*7ことと、勉強不足で悩む時間が多く最後まで解けなかったこと。

配点は第1問が45点、第2問が20点、第3問が35点。全部解いたはずの第1問と第3問も失点している。ケアレスミスが多いんだと思う。

確実に合格するには、予想問題や過去問をいっぱい解いて、高速かつ正確に仕分けできるように訓練することが大事だと思った。

同じ2冊でしっかり勉強した婚約者は92点で合格だったそう。ぼくが70点でギリギリ合格だったのは努力不足であり、ゴエモンたちに何ら悪いことは無いといえる。

なお、正式な合格証書はWebで表示できる。紙で送られてきたりはしない。こういうコストカットによりお手頃な受験料が維持されているのかあ。

感想

なんとなくで済ませていた基礎的な会計の知識をつけることができてよかった。

いつも税理士さんに作ってもらっている仕訳帳をより正しく読めるようになった。

次へのステップアップ、つまり簿記2級受験はしばらくはええかな。婚約者の家に同じシリーズの簿記2級の本があったから、気が向いたら読み進めたい。パラパラめくった感じ、ゴエモンが工場を建てて製造業を始めていた。すごい。ぼくも工場を建てられるくらい立派な人間を目指し、がんばりたい*8

*1:日商は歴史的経緯により設置根拠となる法律がある特殊法人ではある。ただし基本的に会員である民間人/法人(厳密には日商の会員である商工会議所/商工会の会員である民間人/法人)らによって自律的に動いており、行政からのトップダウン的な監督機能はほぼ存在せず、特別な権威性があるわけでもないただの民間組織であると考える。

*2:去年末にプロポーズした。来年入籍予定。

*3:形式は違うが、高専生の頃にお世話になった「やる夫で学ぶディジタル信号処理」を思い出した。

*4:予想問題集も婚約者が持っていた。

*5:歌舞伎座タワーに事務所がある。

*6:ランダム英数字っぽいID/パスワードだった。

*7:関数電卓ではない電卓を久々に触り、式を長々と打って表示することができないことにより正しく電卓打ててるか自信が無く何回も同じ計算していた。

*8:うそです。

国の競札に参加する方法

日本の行政機関が外部に何かしらの発注を行う際は、公告し競争に付し契約者を決める一般競争入札というのを行う場合がある。つまりどういった仕事を募集しているのか誰でも見れるよう広く告知し、それで希望する事業者には見積もりとともに申込みさせ、一番安い額の事業者を選ぶまたは金額が同じであればくじによって事業者を選ぶということ。

その競争入札(競札)に参加する(入札する)までに必要な手続きをまとめておく。

なお、国の事業の場合であり、地方自治体の事業の場合はまた異なる。また、法人の場合であり、個人事業主の場合はまた異なる。

1. 商業登記 電子証明書を作る

後述する調達ポータルは、誰でも調達情報がすぐに検索・閲覧できるようになっている。但し、電子証明書とともに登録を行わないと、その次のステップに進めることができない。

ここで必要になる電子証明書は何でもよいわけではなく、調達ポータルに指定されたいくつかの認証局によって作成された、法人に紐づく電子証明書である必要がある。個人事業主の場合は本人のマイナンバーカードの電子証明書でもよい。

この「指定されたいくつかの認証局」をみると、NTTビジネスソリューションズ株式会社や三菱電機インフォメーションネットワーク株式会社といった民間企業によるもののほか、法務省の電子認証登記所(商業登記に基づく電子認証制度)によるものがある。法務省のそれが一番安かったから、それにした。24ヶ月(2年間)で8300円。他の民間企業はその倍以上のお値段であるが、物理カードに電子証明書を埋め込んでくれるといったメリットがある模様。電子証明書ファイルを適切に管理できる体制が整っているのであれば法務省電子証明書で問題なさそう。

法務省電子証明書の申請には、「商業登記電子認証ソフト」を利用しオンラインで行うことができる。Windows環境が必須。申請データに法人代表者のマイナンバーカードの電子証明書で署名を行う過程があったため、それで正当な申請か判断している様子。

申請後、平日であればわりとすぐにペイジーの納付番号が発行されたから振込。その後、1営業日くらいで発行されたと思う。

2. 調達ポータルに利用者登録する

国の競札案件にまつわる、入札・審査・契約などは、「調達ポータル」によって行うことができる。

国の多くの行政機関がこの調達ポータルを使うことになっている。

www.p-portal.go.jp

他者を偽って各種手続きをできてしまったら困るため、電子証明書を使って、利用者登録を行う必要がある。これは簡素な手続きで、1営業日もかからず完了したと思う。

代表者個人名義の電子証明書マイナンバーカード等)ではなく先程用意した法人名義の電子証明書で登録するのに、「代表者名義で登録する」を選択しなくてはいけないのが気持ち悪いポイント。

3. 全省庁統一資格を得る

事業者が自らの事業場の所在地、組織規模、対応業務の種類などなどを自己申告し、それがざっくり正しいかを審査する仕組みがある。この資格を得ないと、国の競札にはほぼほぼ参加できない。

審査にあたっては、納税証明書が必要なため、税金を滞納していないかも確認されている模様。

申請から14営業日、3週間近く過ぎてようやく審査完了のメールが来た。その後さらに2週間くらい経って、紙の資格審査結果通知書が届いた。 3週間も一体何を審査しているのかよくわからない。うちの事務所に実地調査しにくるのかなあと思って身構えたけど、来なかった。謎すぎる。

4. 入札する

調達ポータルを開いて良さげなやつを探して入札するだけ。

調達ポータルは閲覧だけならWebでできる。入札以降は専用のソフトが必要でWindows環境が必須になってくる。

多くの競札案件では各省庁で個別の審査を行っているため、実際の入札の前にこれを受ける必要があり、こまめに調達情報をチェックしてスケジュールに余裕を持って進める必要がある。

感想

やってみると意外と簡単だった。

インターネット越しでポチポチ入札できるのは、便利。

この仕組みを作った方々に敬意を表します。

最後に

談合や収賄は、やめようね!

知的財産管理技能検定 3級 受けた

厚労省が指定する機関である(一社)知的財産教育協会が実施する、知的財産管理技能検定の3級をうけてみた。

知的財産の管理にまつわる知識を問われる試験の入門編。合格したことによって業務独占資格が得られるものではない。

われわれの業界でいうとITパスポートくらいの立ち位置だと思われる。他分野に例えるとFP3級や簿記3級とかかな。

動機

いくつか動機はあって、代表的な3つを時系列的に並べると以下の通り。

たわしくんが受けていた1のを見て面白そうだと思ったから。

仕事で知財事務所とやりとりをした2際におすすめされたから。

大学で知財を専攻している妹3が受けていたから。連休に実家に帰っては毎晩飲んだくれている醜態しか妹ちゃんに見られていないため、一発合格してたまにはかっこいいところを見せたかったから。

申込

Webから申し込んだ。

学科試験と実技試験に分かれており、それぞれ6100円。合計12200円。なかなかいいお値段。

勉強

試験日の1週間前にそろそろ勉強するかと思ってAmazonで調べて一番上にでてきた秀和システムの参考書を買った。

分厚くて身構えたものの、全体的に余白大きめイラスト多めでかなり易しかった。冒頭3分の1が教科書的部分で、残りは過去問とその解説だった。仕事の合間にざーっと読んだ。全体的に簡潔過ぎるぐらいではあったが、最低限の試験対策用としては十分ではあるとは思う。個人的に簡素すぎる説明書きに納得できない点が複数あり、試験に関係ないけど気になって読み進めることができなかったから、Westlaw Japanで判例や学説を調べたりと寄り道した。

後から調べてみると、過去問とその回答は試験実施している団体によって無料公開されている模様4。既にある程度知識に自信のあるひとは参考書買わずにそれだけでいけるのかも。

試験当日

試験会場は国士舘大学世田谷キャンパスだった。よくある郊外型キャンパスで、東急世田谷線世田谷駅から徒歩10分5東急池上線沿線の彼女の家に前日泊まりに行っていたため、当日朝は池上線→大井町線田園都市線世田谷線といったように東急4路線を乗り継いで向かった。東急世田谷線には初めて乗った。環七と交差するところでは信号を待って徐行しているのを確認でき、路面電車感があって面白かった。

試験申込時に「CBT方式6」を選ぶと、よりアクセスの便利な都心の会場を選べることができた様子。ただ自分はこういう試験でもないと行かないような街や大学のキャンパスをうろうろするのが結構好きだから、これで良かった。

会場に到着して、まず所属元のアカウント使ってeduroamに接続してニヤついたのち、教室へ。申込受付期間の最終日の23時ごろに申し込んだからか受験番号はかなり後ろの方だった。ただ自分よりさらに後ろの人が10人くらいいて、ちょっと負けた気分になった。いくつかある教室のうちの一番端でお手洗いから近い教室で良かった。

実技試験と学科試験の両方受ける場合、間に15分程度の休憩をはさみつつトータルで11:00開始13:20終了というスケジュールだった。実技と学科もすぐ解き終わってしまった。途中退室不可で、早く出ていってごはんたべたいなあと思った。

翌日昼にWeb上で公式回答が公開されていたから、自己採点した7。少なくとも不合格ということはなさそうであったため安心した。

結果

試験から1ヶ月後に正式な試験結果が公開された。

合格基準は正答率7割。合格してた。

わりと余裕こいてたくせに実技が満点でなかったのはちょっと恥ずかしい。

感想

今回受けた3級に限っては、学科試験と実技試験で別々になっている意味がよくわからなかった。さらにこれで合計12200円というのは割高感が否めない8

内容としてはいいかんじに易しくて、なんとなくでも知財管理について勉強してみるか〜という人にとってきっかけ作りとして大変素晴らしいものだと思った。ある程度社会経験を持つ人は満点合格目指して勉強するのが良さそう。

実際に知財まわりで手続きしたり紛争したりしたことが無いから、今回得た知識がどう役に立つのかはわからないけど、発明、特許、意匠、商標、著作などといった概念について頭の中で整理するいい機会になった。あともちろん勉強すること自体それなりに面白かった。

試験おわりに会場の近くで食べたラーメンがおいしかった。

東急世田谷駅前のらーめん辰屋さん。二郎系っぽいニンニクやヤサイの盛り方だが、味はかなりあっさりめの油少なめ非乳化スープだった。たまにはこういうのもアリだなあと思いながら食べた。うまかった。

tabelog.com

機会があれば皆様も是非。


  1. 知的財産管理技能検定3級 受験記 - たわし日和
  2. 結果として発注頂くまでにはならなかったけど、いろいろお話して楽しかった。
  3. 妹は年が離れており、まだかわいい今年の春から学部3回生の歳。前回の試験で本検定3級の学科のみ合格して今回実技のみ受けた模様。
  4. https://www.kentei-info-ip-edu.org/gakushujoho/kakomon/
  5. 正確には、会場は国士舘大学の世田谷キャンパスの34号館だった。世田谷線は軌道線ということで駅間が短いため、棟によっては松陰神社前駅のほうが違い場合もある。その他、小田急小田原線の駅からも徒歩10分程度でアクセス可能。 世田谷キャンパス/アクセス案内|国士舘大学
  6. https://www.kentei-info-ip-edu.org/cbt/ 本検定以外には、ITパスポートやFP3級等でも採用されており、試験によっては年中受けることも可能な模様。
  7. 問題用紙が持ち帰り可であったため、そこに回答を控えておいた。
  8. 単純比較するものではないというのは承知の上で、ITパスポート試験は7,500円。

阪堺電車 貸し切ってみた

出身高専の写真部のOBOG会として、阪堺電車阪堺電気軌道)を貸し切ってみた。

昨年、母校の学祭でたまたま顔を合わせた3、4人で、三宮の居酒屋で飲みながら「大勢でパーッと貸し切りやろう」みたいな話をしたのが発端。

結果として、我々世代を中心に、2008年入学から2014年入学の15人が集まることができた。

今回利用させてもらった阪堺電車は1両編成での貸切運行が可能で、貸切料金は55,200円からというお手頃価格がうれしい。

www.hankai.co.jp

上記ページに記載されている天王寺-浜寺往復で2時間半程度のモデルコースをそのまま利用した。希望があれば恵美須町にいく路線(たぶん)に行ったりもできるらしい。

車内はこんなかんじ。15人では結構余裕があった。ただ、定員の40人乗るとしたら、網棚無いことも考えると荷物の置き場所もなく窮屈かもしれない。快適に飲み食いするなら1両あたり30人までかと思われる。

飲み物は追加料金で用意していただけるとのことで、一人あたり2缶くらい適当にビール/ハイボール/チューハイをお願いした。キンキンに冷えた状態でクーラーボックスに保冷剤とともに阪堺電車さんのほうで用意していただけたので、幹事として大変助かった。ちなみに、持ち込み用のクーラーボックスや、ゴミ箱も用意していただける。嬉しい。

事前に我孫子道に幹事側4人集まって、車庫に停めてもらっている車内にて準備した。南海住ノ江駅のところにある大起水産さんに予め電話で人数分のパック寿司を予約しておいたからそれを取りに行って、途中にある商店街のスーパーでちょっとお菓子とか水とか買って完了。加えて各自持ち込み大歓迎としたところ、参加者のみんないい感じにお酒やおつまみを持ってきてくれて、最終的にほどよい感じになった。

天王寺で参加者全員乗車。このとき、我孫子道での準備要員は車外に出る時間的余裕がないため、それ以外でだれか1人が取りまとめ役を決めておけばよさそうだった。

途中、再度我孫子道の車庫内に停めてもらい、各々記念撮影をしたり、電車を眺めたり楽しんだ。一人後輩でプロのカメラマンやってる子がいて*1、彼女が三脚も持ってきていたため集合写真を撮ることもできた。ありがたい。

このときに貸切料金、飲料費用のお支払いをした。領収書とともに、乗車券をいただけた。

はえーこんなかんじなんやーとみんなで見た。手書きの乗車券は他にはJRの出補しか見たことがない。

そんなかんじで2時間半楽しんだのち、天王寺に到着。終了。

その後、まだ15時頃ということもあり、なんやかんやで天王寺のカラオケで騒いだり、新大阪に移動して21時まで飲んだりしていた。

大阪や兵庫だけでなく、栃木、埼玉、東京、愛知、三重、岡山といろんなところに住んでいる人々で大阪に集まって、21時まで飲み食いして、自分含めてその日のうちに新幹線で帰っていき*2、不思議な感じがした。日本のインフラは、すごい*3

とにかくめちゃくちゃ楽しかった。またこういう会やりたい。

*1:写真部OGの鑑

*2:栃木住みの一人はさすがに間に合わず東京の僕の家に泊まっていった。

*3:なお今回の参加者の4割は鉄道会社従業員ということで、いつも本当にごくろうさまです。