富士山に登った

2023年7月27日~同28日にかけて、富士山に登った。

吉田ルートにて、1日目(7/27)の昼から登り始めて山小屋で一泊して、2日目(7/28)に頂上到着後、下山。下山後は河口湖駅周辺で一泊後、解散。

参加者

高専時代の写真部のメンバーで登った。

僕の1つ下の代のNくん、Tくん、Iくん、3つ上のOさん、そして自分の計5人。

写真部OBの近い世代が入っていて雑に飲み会開催するDMグループがあり、その中でNくんが発案し、都合よさそうな他4人が乗っかった形。

Nくんは栃木県、Tくんは埼玉県、Iくんは愛知県、Oさんは兵庫県、自分は東京都在住。

いいだしっぺのNくんは体力に自信があるのか、当初「下山後は富士急ハイランド行って絶叫マシン乗りましょう」などと言っていた。

集合

それぞれ居住地がバラバラなこともあり、12時にスバルライン五合目に現地集合としていた。

少し早く11時前には何人か着いていたため、五合目にいくつかあるレストランの一つで食事をしたり寛いでいた。

舗装された道路が通っており自家用車やバスで来れるかつレストラン等立派な建物が何個もあるため、平地と同じように感じてしまう。ただやはり標高2300m地点ということでそれなりに山奥で、水道が通っていない様子でトイレは有料だった。

保全協力金とやらを1000円払って、5人揃って出発した。

登り始め

最初は全員めっちゃ余裕こきながら登ってた。

幸い天気も良く、景色を眺めながら楽しく登れた。

あれが山中湖でこれが河口湖か〜みたいな話をしていた。

六合目を過ぎてから少し経ってからは少し傾斜がきつくなってきていた。そこでNくんがバテ気味になっていた。日頃の運動不足だと思う。「下山後富士急ハイランド行きましょう」とか言ってたあの元気はどこにいったのやら。

急いで呼吸が荒くなって高山病になってもしかたがないので、のんびり登っていった。

山小屋

七合目の山小屋、「日の出館」を予約していた。

当初の予定より少しだけ遅れてしまったものの、無事15時過ぎには到着した。

疲労もあってか既にお腹ペコペコだったため到着後すぐにラーメンを食べた。

安っぽいプラ容器に麺と気持ち程度の魚肉ソーセージとメンマと海苔。そんなに良いモノではないけど、山の上ということもあってめちゃくちゃ美味しく感じた。

食事後は夜22時くらいまで仮眠の予定。高地順応のためにも一旦ゆっくりする。

めちゃくちゃ狭くて、他のお客さんとの間に仕切りもなく、なかなか寝るのに難儀する環境だった。

自分はアイマスクと耳栓を持ってきていたため、2,3時間くらいは寝ることができた。途中で目が覚めてからは寝付けなかった。とにかく他のお客さんがうるさかった。夕方以降にやってきてワイワイガヤガヤ楽しそうに食事をしている人たちが多く、山小屋の人も一切注意する気配がないどころかさらに大声で「明日XX時に起こしますからね〜」みたいなこと叫んでいた。環境適応力を試される場所だった。

うるさいのもあったが、人口密度が高く酸素が薄かった。若干息が苦しくなってきて高山病か?と思ったけどトイレしに一旦外の空気を吸ったら全然違った。

予定より早く(というか居心地悪くて寝れないから)21時には山小屋を出た。

七合目〜八合目

山小屋でてすぐ、急な岩場になった。

酸素もそれなりに薄くっていきつつあった。それなりに肺活量には自信があったが、心拍数の上昇を実感した。

一番年長のOさんがここでリタイアした。「二日酔いみたいな頭痛がある」とのことだった。一緒に頂上まで行けないのは残念だったけど、無理してもっとよくない事態になっても仕方がないので、やむを得ずここで一旦お別れ。さっきの山小屋まで戻って夜明けを待ってから下山するから五合目でまた合流しようということになった。

また、Nくんも高山病というほどでもないが体力的にしんどいということだったので、彼の2Lペットボトルを僕が代わりに頂上まで持っていってあげることになった。

高山病にならないように、かなりゆっくり、休憩をこまめに挟みながら登った。予定より早く山小屋を出た結果として「ご来光を山頂で拝む」目標まではまだまだ時間的余裕があった。

ふと上を見上げると、めちゃくちゃ綺麗な星空だった。

休憩しつつぼ〜っと星空を眺めていたら流れ星を何度も見ることができた。大気が薄いから普段見えない流れ星もよく見えるのだろうか。人生でこんなにしっかり流れ星を見たこと自体初めてで、かなり感動した。

下を向いても地平線沿いにほんのり明るくなっておりなかなか幻想的だった。地平線の丸みがはっきりわかる様子を見て地球ってほんまに丸いんや…とアホみたいなこと考えてた。

本八合目から頂上

本八合目を過ぎたあたりから、登山者の密度が高くなっており、上を見上げるとヘッドライトの明かりが列になって見えた。

ラスト九合目に差し掛かった頃にはもう渋滞状態で、前のグループに続いてゆっくりゆっくり登っていた。

その頃にはもう夜明けが近づいており、ほんのり明るかった。

(このへんぜんぜんピント合ってない…)

息も苦しく疲労がたまってきていたけど、暫く無心で登っていったら吉田ルート頂上の久須志神社の鳥居が見えてきた。

お鉢めぐり

頂上に着いたらちょうど日の出のタイミングだった。天気もよく、綺麗に見れた。

富士山は各ルート毎に「頂上」があり、その複数ある頂上のある火口の周りをぐるっと一周回る「お鉢めぐり」をした。

Nくんはもう死にそうな表情だったので、彼は山小屋で休憩することにして、TくんIくんと自分の3人で行った。

お鉢めぐりの途中も朝焼けが綺麗だった。

同じ頂上とはいえそれなりにアップダウンのある道を時計回りに歩いていくと、郵便局や神社等がある富士宮ルートの頂上に着いた。

五合目の郵便局で買ったポストカードをここで投函した。「富士山頂」郵便局の消印を押してもらえるらしい。届くのが楽しみ。

さらに歩いていくと、最高峰の剣ヶ峰にたどり着いた。

写真撮影に時間をかける人が多いからか、剣ヶ峰を登っていく行列がすごい長かった。20分くらい並んだと思う。この並んでいる間に横風がそれなりに吹いてきていて寒かった。真夏だけど5℃くらいではなかろうか。とにかくじっと止まって並んでいるのが苦行だった。

基本的には晴れてたのに、剣ヶ峰で記念撮影するときだけガスってて悲しい…。

比較的体力のあった3人もこのころにはヘトヘトだった。

剣ヶ峰を降りた後、さらに時計回りに歩くと元いた吉田ルート頂上に戻った。

ここで下山前の最後の休憩ということで、山小屋で牛丼食べた。

1500円となかなかのお値段だった。しかしとにかく旨く感じた。富士山頂で食うと何食っても旨いと思う。

5合目まで下山

登山は頂上に登ったら終わりではなく、下山する必要がある。

少なくともバスの発着している五合目までは歩いて下山することになる。

この下山が非常にきつかった。

大きい石がゴロゴロしている砂利道をひたすら下っていく。景色は代わり映えしないし、ゆっくり休憩できる場所も少ない。砂埃が舞うから全身ドロドロになる。眼鏡やサングラスしていても目に入ってきて痛い。

下山中、脚が若干痙攣していた。ハムストリングを痛めたと思う。下山後3日たった今でも痛む。

最後、六合目から五合目までは若干上り坂になっており、へばり気味のNくんの歩みが止まる直前になってしまっており、彼の荷物すべてをIくんが持ってあげていた。

満身創痍で五合目到着。すっかり日も登って12時前。途中で離脱したOさんとも合流。

なにはともあれ5人全員無事に帰ってこれた。

5合目からバスに乗って河口湖駅へ。

河口湖駅すぐそばのボロいホテルに泊まった。5人1部屋雑魚寝。でも10畳ある部屋で、ちゃんとした布団で、別途大浴場もある。酸素も十分ある。

チェックイン後すぐみんなでいっしょにお風呂に入った。最高に気持ちよかった。

風呂上がりにはコンビニで買った酒で乾杯。

登山は登山後の乾杯のためだけにあると言っても過言ではない。

そのあと1時間くらい昼寝して周辺の居酒屋行ったりまた部屋で飲んだりした。楽しかった。疲労もあって日付変わる前には就寝。

翌朝、なんやかんやで新宿に行くとのことで、5人揃って富士急、JR(特急かいじ)に乗った後、新宿で解散。

最後に

富士登山、頂上に登ったときは感動というより「もう疲れた」「はやく帰りたい」といった感情が強かった。剣ヶ峰登ったときも「ノルマ達成」という文字列が頭の中に浮かび上がった。それよりも途中見た星空や夜景が思い出深い。

なお、新宿で解散したあとの自分の動きとして、一旦家に帰ったもののシャワー浴びる程度ですぐに別の荷物を持ち直して家を出て、新幹線に乗って京都に行って夜まで遊んだ後神戸の実家に行った。これめちゃくちゃしんどかったので、今後は登山後は何もせず家で1日体を休ませるスケジュールにしたい。

追記

一週間くらい経った8/3(木)に、山頂で投函したポストカードが配達されていた。東京と神戸どちらも同日に着いた。

ちゃんと登った日付で、「富士山頂」と書かれた消印が押されている。

それといってお土産買ったりはしなかったけど、これがいい記念品になった。